ザッカーバーグが中国語を話すこと、とグローバル人材()

ザッカーバーグ、中国語話すんですね。英文の記事をみたらMandarinでした。


マーク・ザッカーバーグ、北京の清華大学で中国語を披露して大反響 - TechCrunch

 

きっと、ザッカーバーグさんは日本にきたらグローバル人材ですね。実際グローバル経営してるからそうなんでしょうが。

 

周り(FB)では、中国語を話せるということが話題になっていますが、この記事って「ザック、中国語話すんだ、すげえじゃん」ということではない気がします。特に、英語版を読むと、SEMの顧問委員会のメンバーに就任したことだったりとか、そういう政治経済系の話が記事のポイントのように読めます。SNSが中国ではブロックされているのにも関わらずとか、そういう潮流があるかもしれないというあたりですね。

 

なんで日本人は外国語が話せるというところに目が言ってしまうんでしょう?グローバル人材の育成というと、何故か「英語」とかの言語に目がいきますね。そんなに英語できないといけないんでしょうか?というか、それって教養の問題だと思うんですけど。

 

日本でも世界でも良いのですが、歴史をみてみると資源を得るための侵略と植民地支配の繰り返しのはずです。今もでしょうけど。その中で、日本は元寇だとか、朝鮮出兵鎖国、アジアへの進出と支配とかをやってきたわけです。

 

国内での資源が枯渇すれば、他国の資源を...というのは通常の考え方です。この解決方法に外交だったり経済(貿易)だったりがあります。反対に、自国の資源を守らなければいけない状態における解決方法も外交や経済(貿易)です。「国」という単位で世界が動いている状態においては、これが繰り返される、つまり歴史となります。ドラマの不毛地帯なんかでも言っていましたが、まさに「経済戦争」をやっているわけです。

 

これがグローバル世界の根本なわけで、その中で英語とかの他言語を使えることがどれくらい重要なのか、というところがあります。必要ないとは言いませんが。それよりは自国の資源を増やすことができる、その方法を選択できるというところに重きを置いた方がよっぽどグローバル人材じゃないかと考えてしまいます。

 

もちろん問題は色々ありますが、戦争や侵略は一つの手段で、そこに英語が話せることはあまり関係ないわけです。イギリスは世界中に領土を広げた時期がありましたが、その中でどれくらい言語って大事だったのでしょうか。もちろん、交渉をする場合は言語能力は必要になりますが、それ以前にどういうテーブルを作るのかの方が重要になります。相手のやり方を見定めた上で、自分のやり方を通すという方がよっぽど重要です(この時のやり方で相手国の言語で色々とやるというのは一つの手段ですね)。

 

冒頭の記事でも、FBのCEOが中国でポジションを得てうんぬんというのはまさにテーブルを作っているわけなので、そっちの方がはるかに世界戦略としても理にかなっています。

 

ちなみに、英語版ではmultilingual、日本語版でも複数の言語となっていますから、英語、中国語以外にも言語を話すんでしょう。そういう意味でも教養として複数言語は心得ているはずです。

 

こういう記事を読んで反応を見てると、わざわざグローバル人材()というよりは、日本人の教養の質を高めるという方が重要な気がしてしまいます。